日当たりのいい小奇麗な会議室で退屈な雑誌の取材を終えると、ちょうどあれから1時間が経過していた。決まりきった質問―――次回作の抱負だとか意欲だとか、今の心境だとか・・・台本を読むようにすらすらと答えながら、司の心はずっと他のことで占められていた。
「お疲れ様。司くん、これ、差し入れだそうよ」
チーズケーキとダージリンティーを前に、司はついに我慢しきれなくなり口に出した。
「なあ、今日第6スタでなんかのオーディションやってるらしいけど、なんのオーディション?まだやってんのかな?」
マネージャーの由梨絵は、訝しげな顔で何故そんなことを訊くのか不思議がったが、それでも下手に司の機嫌を損ねるのは得策ではないと判断したのか、すぐに携帯でどこかに問い合わせて聞き出してくれた。
「『乱暴者の住む丘』のスタントのオーディションらしいわよ。普通は事務所だけ決めて、あとは適当に任せるらしいんだけど、今回は司君主演ってことで、特に念を入れてオーディションまでやってるらしいわよ。」
「・・・・スタント?って、スタントマン・・・?」
「ええ。そうよ。もう、そろそろ決まったみたい」
あまりにも意外な答えだったので、司は何かの間違いではないかと思った。芸能界でずっと生きている司から見ても、あんなに華のある人間が、スタントなどという地味で顔も出ないような仕事をやるはずがない・・・・。
でも、言われてみれば・・・・。
とにかく、確かめなくては―――。
司は矢も立てもいられず、突然立ち上がってドアに向かって走り出した。
「ちょっと・・・?!司くん・・・!まだ写真撮影が―――」
背後から由梨絵のかん高い声がしたが、そんなものは司の耳にはもはや入らなかった。
階段でいっきに4階まで駆け下りると、丁度第6スタジオと思われるドアからドヤドヤと数人の若者が出てきた。司は少し離れた場所で立ち止まると、出てくる人達の一人一人の顔を見つめた。
程なくして、見覚えのあるグレーのフード付きトレーナーを着たスリムな人影が姿を現した。
「あ・・・」
司は、訳もなく心臓の鼓動が高まるのを感じた。
―――なんなんだ、一体・・・。なにやってんだ?俺は・・・・・
司は自分自身の不可解な気持ちの昂ぶりに戸惑いながらも、逆らえない流れに身を任せるように、その人物に近付いて行く・・・。
背後の気配に機敏に反応して、その青年は素早く振り返った。
「小河見さん・・・?」
ほんの一瞬、驚いた表情を見せたものの、すぐにその顔は笑顔へと変わる。
司の胸はさらにドクンと高鳴った。
「先ほどは、ありがとうございました。お蔭で無事にオーディション受けることが出来ました。」
「あ・・・。ああ、そう―――良かったね・・・」
自分のあまりにも間抜けな受け応えに、司は頭が痛くなってきた。
もうちょっと、なにかマシなことが言えないものか、と焦りながら青年の顔を見つめる。
「そ、それで、どうだった・・・・?受かった?」
青年の笑顔が微妙に揺れると、右腕を上げ後頭部を掻いた。
「まあ、それが・・・。どうも今回は縁がなかったみたいです」
「えっ・・・・駄目だったのかよ?どうして・・・?」
言った後で、落ちた人間に「どうして」とは、無神経だったと司は後悔した。
しかし、青年は大して気にする風もなく、笑っている。
「―――さあ・・・・それは・・・」
それ以上言葉が見つからないのか、青年はそのまま黙ってしまった。
「―――・・・」
一見平気で笑っているようだが、内心では落ちたことを相当悔しがっているに違いない・・・、その微妙な笑顔の変化を役者である司が見破れないはずがなかった。
司も今までに何度かオーディションを受けたことがあった。しかし、落ちたことは一度もない。
それを司は、長い間ずっと自分の実力が人より優れているせいだと信じていた。
しかし、いつ頃からか大人の裏事情を知るようになった。
つまり、オーディションとは見せかけだけで、実は出来レースであったこと・・・・。そんなことは大人の世界ではもはや当たり前のことであること・・・。
しかし、それを知ったところで、司にはなにをどうすることも出来ないと分かっていたから、胸糞が悪くなるのを抑えながらも、選ばれた以上は他の誰もが納得する仕事をすれば良いのだと、ただひたすら演技に没頭するしかなかった。
―――出来レース・・・・?
司は目の前の青年の実力など知りはしないが、身のこなしが常人とは違っていることはとうに見抜いていた。
おそらく半端な運動神経ではないだろう。
―――それでも、落ちた・・・・。いったい何を基準に選んでいやがる?能無しの選考員共、どこに目をつけていやがる?それとも、やっぱり裏があるってのか?
あり得ないことではない。この業界ではなんでも有りなのだから・・・・。
―――そう、なんでも・・・・・な。
司はニヤリと笑った。
「ちょっと・・・ここで待っててくれ」
司は青年にそう言い置くと、今しがた終わったばかりのオーディション会場の部屋に入っていった。
そこにはまだ、数人のスタッフと選考委員らしき人間が残っていた。司が大股で入っていくと一斉に顔を向け、一様に驚いた顔をした。
「――小河見・・・司くんじゃないですか、どうしたんですか?こんなところで・・・?」
その中で一番年長らしき顎鬚を生やした人物が話しかけてきた。
司は、ここぞとばかりに大声で喋り始めた。
「聞いた所によると、俺のスタントらしいじゃん。それなのにどうして、肝心のこの俺に一言の断りもなく、勝手にそういうことを決めちゃうんだろうねえ・・・・?それで、ここの責任者、誰?」
司に睨み付けられた相手は、慌てたように言い始めた。
「・・・そんな、勝手にやってるわけじゃないですよ。大津監督から指示されてやってるんです。もちろん、プロデューサーもスポンサーさんも了承の上で・・・・」
「じゃあ、監督に決めてもらえよ。なんで、ここに監督はいねえんだよ?」
「――そ、そりゃ、こんなことでわざわざ監督の手を煩わすことはないと思いまして・・・・ですね・・・・。」
「こんなこと・・・だと?」
司がさらに睨み付けると、顎鬚は「マズイ」というように目を逸らした。
「つ・・つまりですね。この場はわたしが監督から一任されて・・・・おるわけでして、それを小河見さんから文句を言われる筋合いはないと思いますが―――?」
「一任ね・・・・」
司は鼻で笑うと、周りを見渡した。どいつもこいつも能無しのクズに思えた。
「なにを基準に選んだのか、知らないけど―――」
そこで、少し言葉を切ると、後は一息に持ち前の大声で言い放った。
「今のオーディションは無し!!なぜなら俺が承知しないからだ、俺が承知しないってことは、もしこれを強硬するってんなら俺は役を降りるってことだ!それが、どういうことか、勿論分かってるだろうな!?てめえら、一生この業界じゃあメシが食えなくなるってことだっ!!」
真っ青になって震えている顎鬚以下の連中を振り返ることもなく、司はさっさとその場を後にした。
これくらいのハッタリをかますくらいのことは司には朝飯前だった。
いくら司でも、本当はスタッフ達をクビにするまでの力などはない。
ドアを開けて廊下に出ると、司の言いつけどおりそのままの場所で青年はポツネンと一人で立っていた。司はそれだけでなんだか無性に嬉しくなった。
「行こう」
「え?どこへ・・・・?」
「監督のところ!」
「―――はぁ・・・!?」
驚いた顔をしながらも、青年は司の後を追ってきた。司はそれを確認すると、歩きながら由梨絵に電話をかけて大津監督の居場所をすぐに調べるように言った。
to be continued....